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じんわりおかしい黄ラブのアテナ(05年3月31日~09年1月26日)の跡を継いだ黒ラブニケ(08年7月1日生まれ)と末っ子長男ライラプス(10年4月30日生まれ)の奮闘記

こんなときでも

シェビさんへのメッセージありがとうございました。
とっても喜んでもらえたようで,皆さんに改めて感謝します。
シェビさん、ライに「シェビさんを守りに行く?」って聞いてみたら
「おれ、母ちゃんと一緒じゃないと眠れないんだじぇ」だって。。
すみません、マザコンで、、、


被災地のこと、原発のこと、買い占めのこと、停電のこと、、、
考えれば気持ちが重たくなる現実が沢山あるんですが、それでもおかしい事は起きる訳で,,,,

計画停電の初日。うちの実家は夜が停電時間帯だったらしい。自分の地域が何グループだかよくわかってなかった両親にとっては、突然来た停電で、父は「停電が終ったらちゃんと電気が使えるように」と落ちてしまったブレーカーをあげて、そのまま就寝したそうです。
翌朝。まだ、電気が使えない。でもまあ、昼だし、冷蔵庫の温度さえ気をつければ、、と思ったところにタイミング良く(悪くか??)防災無線で「一部地域では停電を延長しているところがあります」ときた。
そんなもんなのかと思っていた両親もさすがに夕方前に「何かおかしい」と気づいて配電盤を見たところ、、
実はもともとブレーカーは落ちてなくて、父が手動で落としてしまい、結果として、よその家庭より熱心に節電に勤めたのでありました。。


節電と言えば、私の勤めている会社の入っているビルの張り紙。
『この度、東北関東大震災の影響を受け、電力不足となります。
 当ビルでは東京電力の要請を受け,最低限の節電にご協力願います。
 ご理解、ご協力の程、よろしくお願いいたします。』
つっこみどころ満載の文章ですが、この張り紙を見て私が突っ込んでしまったのは
「最低限の節電でいいのかよっ!」でした。。
頼むなら最大限の節電か、最低限の電気使用ではないのかいっ??




今回の話しではないのですが、親戚と地震の話し2発。

うちの両親は秋田出身。地震や津波の被害にたびたびあっている地方です。
ある時、伯父さんのうちに遊びに行った時に、前年にあった地震の時に町民が撮った写真をまとめた町発行のアルバムを見せてもらいました。その中にこちらに向かって迫ってくる津波の写真がありました。
それをみた妹1「こんな写真撮ってる暇があったら避難しろ!」
私「本当にねぇ!こういう奴が巻き込まれるんだよ!」
聞いていた妹2が無言で写真の下の撮影者の名前を指差しました。。
一緒に写真をみていた伯父さんでした。。。

その後、叔父さんも登場し、そのアルバムを見ながら思い出したように言った。
「新潟沖地震の時は海岸を車で走ってて、あまりにも揺れたんでパンクしたのかと思ったんだよなぁ」
私、ふと、疑問に思って確認してみました。「ん?叔父さんそのとき、いくつ??」
叔父さんったら平然と「中学生だったよ」
叔父さん、花形満だったのかっ!
ちなみに、叔父さん、その趣味を活かし(?)、某大手車メーカーのメカニックとして、世界中を飛び回ってます。

話しは戻って二ケ。
地震が来る度に怖くて震えてます。風で外のものがかたかた言うだけでうずくまっちゃうんです。
そこで私、考えました。
揺れが来たらわざと明るく、「おやつ食べる子、いるかなぁ??」って言ってみた。
ライは「はい、はいっ!」って飛んで来たけど、ニケはこちらをちらっと見ただけ。
おやつの入ったタッパーの蓋を開けて目の高さまで降ろしてみた。
ライは顔をつっこもうとしたけど、やはりニケは動けず。。
でも、そのなかからおやつを取り出してみせたら。。。。
ニケはスタッと立ってしっぽを振りながら「それちょ~だい!」って。
希望が恐怖に打ち勝った瞬間を、私は確かに見た!!


最後はニケの前腹の兄エンちゃん。
エンちゃんママのつぶやき
『えんちゃんも節電できないだろうか??』
に答えて思わず言っちゃった私の一言。
『えんちゃんはむしろ、発電に協力するほうが適任だと思う。。』
エンちゃんに限らず、この元気なワンコたちの有り余るエネルギーを電気に変えられないかなぁ。。
アメリカの研究者に一人ぐらい、そんな研究をしてる人がいるんじゃないかと思うんだけど、、、
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地震

昨日は、お天気もよく、暑くもなく寒くもなく絶好のアジ日和!

って、なるはずでした。


いつもはお昼過ぎに予約を入れてゆっくり買い物して3時位に家に帰るパターンの美容院。金曜日はたまたま朝一の予約しか取れなかったんです。
土曜日はアジの大会、日曜日から7人14ワンで一泊の雪遊びに行く予定にしていたので、買い物して、家に帰って遅いお昼を食べて、「さあ、支度をしよう!」と思っているところでした。

我が家の出窓には私が「アテナの歌声」って呼んでる風鈴のアメリカバージョンがあります。
それが、ささやくようにカラカラ音を立ててちょっと揺れました。
「あれっ?風もないのに。。。」って思ってるうちに、ダイニングのつり下げる電球も揺れ出して。。
あ、これは来るなってわかる揺れ方でした。
ストーブ消して,逃げられるように窓開けて、ニケとライを呼び寄せてリビングで一番ものが落ちて来ないであろう3ソファーに3人で座って、布団かぶってるうちに、揺れはだんだんひどくなり、、、

ニケはこの前ゴンドラに乗ったときのようにうずくまってがたがた震えていました。
ライは黙って座ってましたが、特に変わった様子はなかったかな。
むしろ、顔をきりっとあげて「母ちゃん、姉ちゃん、おれが守るぜぇ」みたいな感じ。
(と、オビの先生に話したら「へたれなのにぃ??」って笑われたけど、、、)

私の経験した中でも5本の指に入る位の強くて長い揺れでした。
この家で棚からものが落ちてくるのは初めての経験。
我が家はずっと地主さんが住んでいたしっかりとした地盤で、しかも地盤調査してもらって多少ゆるいと言われた部分は補強してます。そのうえ、担当してくれた建築士さんが安全に厳しい人で、棟梁や近所の人に「防災に特別な思い入れでも?」って質問された位柱が多いんです。
その我が家がかつてない位揺れたので,「震度5ぐらいいったのかも」って思いながらテレビをつけたら信じられない光景が映し出されて呆然。
それでも、アジの大会は開催されるそうなので、迷いながらも一応準備。

のりさんの勤務地は歩いても1時間かからないところなのに、あの日に限って外出。
ビッグサイトに行ってました。すでに交通網は麻痺してました。
かなり経ってから連絡があり、
「今、銀座に出た。これから246(厚木街道)を歩いて帰る」
とな。計算上、9時間ぐらいかかる道のり。車で迎えに行こうにも大渋滞らしい。
それを知って、私は寝ました。たぶん、途中のどこかから迎えに来てって電話がかかってくるだろうから、そのまま埼玉のアジ会場に向かってもいいかなって思ったので,,
一応、のりさんには「時間までに戻れないようなら、一人で出発するから、無理せず休憩取ってよ」って言っておきました。私が何度も「いろんな大会の中で一番楽しい」と話した大会。のりさんは、出発時間に間に合わせようと必死なのに違いない。(実は私は各種大会に一人で行ったことがない、箱入り奥様だったりする。。)
だから、一人でも大丈夫だって安心させたい気持ちだったのですが、歩き通しでやっとの思いで帰ってくる夫を置いて行くのか?また迷いましたが、「ええぃ、迷うのはタイムリミットの直前でいいや!」と腹をくくって眠れる私って意外に大物??

が、予想に反して、夜中の1時半に帰宅。
幸運にも中目黒で、東横線が動いてるのを発見したらしい。
そこまでで20キロを5時間かけて歩いた計算になります。
途中でお茶とチョコレート2枚買って。。
必死で戻って来たんだなぁ。。
「明日は(もう12時まわってたけど)絶対のりさんが笑ってくれるようCRする!」
と、珍しく『取りにいってやる』って気持ちになってました。
でも同時に「地震の中、頑張りました!ってブログ載せたら大顰蹙だよな。。」って迷いも。

起床時間の4時頃。
緊急地震速報が立て続けに出て、さすがの私も諦めました。
行かなければ事前に振り込んだ出陳料7000円やカツサンド代はそのまま没収(?)なので悔しいけど、、、
イヤと言うほど道路事情を見ながら帰って来たのりさんの「行けるかもしれないけど、帰って来れないかもしれない」って一言が決定打でした。のりさんを2日続けて帰宅難民にする訳にはいかない。

友達の中には逆に前日にはキャンセルするつもりだったのに、出かけた人もいました。
旦那さんの会社でも大きな被害が出たので「行けそうにない」と言った彼女の背中を他ならぬ旦那さんが「思いきって行って来い!」と押してくれたそうです。前回惜しいところでCRを逃し悔しい思いをした彼女とその努力を見つめていた旦那さんのそれぞれの気持ちの形。

道路は意外にスムーズだったらしく、「行けばよかったかなぁ」と思ってた私の気持ちを吹っ切ってくれたのは、おとなりのサラちゃんのママでした。
「今日、本当はサラのオビレッスンの日だったんだけど、先生が今朝早くから災害救助犬連れて東北に行っちゃったのよ。」

私が大会とは言っても遊びに行こうとしていた時間、同じ犬連れで人命救助に向かおうとしている人がいた。もし、隣を走ってたら、やっぱりちょっと恥ずかしいと思ったろうな。。
先生と相棒の活躍と安全をお祈りするばかりです。
アジの先輩、リョウ君も現地に赴いているようです。
リョウ君の活躍と安全もお祈りしたいと思います。

そして、最後になりましたが、被災者の皆さんに心からお見舞い申し上げます。

シェビーちゃん、アテナと駆ける

8月26日午前、マイミクであるシェビさんの愛犬黒ラブのシェビーちゃんが16年の長寿を全うしました。
最期は大好きなお母さんの腕のなかで、目を見つめながらお口をぱくぱくさせていたそうでう。きっと「ありがとう」って言っていたんでしょうね。大往生です。

私とシェビさんの出会いは二ケがやって来て1ヶ月位経った時。
シェビさんがブログを見てメールをくれたのがきっかけでした。
その時15歳のシェビーちゃんは既に自力で立つ事が出来なかったけれど、シェビさんと妹犬のコーギーマフィンちゃんの手厚い看護を受けて、大きなカートでお散歩したりひなたぼっこしたり。。寝たきりの大型犬の御世話は決して簡単な事ではないって想像に難くないけれど、シェビさんのmixiの日記にはいつも温かく穏やかな空気が流れていました。
「私も、10年後、アテナとこんな風に過ごしたい」
シェビさんとシェビーちゃんの姿は私のあこがれにちかい目標になりました。

シェビさんもアテナと二ケの事をすごく気に入ってくれました。
森林公園
特にこの森林公園の写真を気に入ってくれて、今もシェビさんのPCの壁紙になってるはずです。(これを選ぶところがただ者じゃない、、、)


ところが、その数ヶ月後、アテナが突然☆になりました。
シェビーちゃんの様に晩年をゆったり過ごすはずだったのに。。
周りに「大変ね」って言われたって「全然!」って笑顔で答えるはずだったのに、、、
アテナの存在が無くなったことが受け入れられない私は、アテナの分まで夢に向かって戦いづづけるRUNちゃんを応援する事、そしてアテナが逝ったのと時を同じくして体調を崩したシェビちゃんに『元気玉』を届けることを、本物の女神になったアテナに課してました。
そしてRUNちゃんは目標としていたディスクのジャパンカップに出場し、シェビーちゃんは夏を乗り越えようとする気力を見せてくれていて,、、、
私はこの2匹に本当に救われて、ここまで立ち直る事が出来ました。
シェビーちゃん、ありがとう!


『元気玉』を届けている間、シェビーちゃんの妹犬マフィンちゃんはお気に入りのソファーに乗らなかったんですって。アテナがソファー大好きだから譲ってくれてたみたいです。
ところがこのお盆のあたりから、ソファーに乗る様になったんですって。つまりアテナはお邪魔してなかったみたい。もしかしたらシェビーちゃんから何かお願いされてあっちこっち奔走していたのかもしれないなぁって思ったりもしています。


シェビーちゃんが旅立った翌日。
ソファーで昼寝をしていた二ケが不意に立ち上がって、不動のまま壁の角を見つめていました。今までも寝たまま目で何かを追っている事は良くあったのですが,立ち上がったのは初めてでした。いつもだと、まずノビをするのに、それもナシで。。。
途中でこちらを振り返ったので
「ん?ねぇねがシェビーちゃん連れて来てるの?」
って聞いてみたらしっぽをぱたぱた振ってまた壁の角を見つめてました。


シェビーちゃんも若い頃は相当なアスリートだったそうなので、今頃、アテナと一緒に空を駆け回っているのかな。

今日も我が家ではアテナとシェビーちゃんの分、2本のお線香をたててます。

月命日

26日。アテナの月命日です。

一ヶ月経ってアテナが逝ってしまった悲しみは薄らいで来ました。
でも生活の中心だったアテナがいない寂しさは埋めようもなく、毎日涙してしまいます。
さっきまで「今日はすごく前向きに頑張れそうだ!」と思っていたのに、ふとアテナの事を思い出し涙が止まらなくなってしまう。。まだまだ気持ちが不安定です。今も、「月命日に書こう」って思ってた事が沢山あったはずなのに、混乱して筆(?)が進みません。
海ほたる
(08年秋、マザー牧場に行く途中、海ほたるにて)

泣いて目をクリーニングしているいるせいなのか、気もそぞろなせいなのか、今年は花粉症の症状がでてません。。アテナが守っていてくれるのかな。
横浜 元町 花
(07年春、横浜で)

いつになったら元気になれるんだろう。。。
そんな日がくるんだろうか。。。
最初はそう思っていましたが、最近は考え方が変わって来ました。
いろんなことで思い出して泣けるってことはそれだけアテナとの思い出がいっぱいあるって言う事。そして思いが深いからこそ沢山泣けるってこと。
アテナをうちの子にするって決めた瞬間から星になった瞬間までアテナと真剣に向き合っていたんだから、このさびしさにも正面から向き合わなければ嘘になる。。
アテナのことを「ペット」だと思ったことはあまりく、「娘」を通り越して「自分の分身」だと思い始めていた私。その分身が自分の中に戻って行く過程をおろそかにしてはいけないね。
DSC_0044.jpg

それにね、最近、お礼の手紙を書き始めてるんだけど、どのお手紙にも
『あなたと会えたときのアテナは本当に嬉しそうでした。』
と社交辞令でも何でもなく、本心から書ける。
そう気が付いた時に「アテナは幸せな子だったんだな~」って実感しました。
私の嘆きに寄り添って,自分の辛い体験を話してくれた方が沢山いました。寄り添ってくれる人もいました。折々に触れてメールをくれる人がいて、そして泣かない様にいつもと変わらぬ様に笑顔を向けてくれる人がいて、、、本当に皆さんに感謝です。ありがとう。。。

今日の月命日にもね、ノエまま&ノエルちゃん、フランママとフランちゃんが来てくれました。私とニケだけだったらめそめそしてたと思うけど、楽しく過ごせました。

TT1


前回も書きましたがアテナは忙しくしているようです。
スクール仲間のあしゅらのお兄ちゃんに虹の橋を案内してもらってお礼にアジを教えたみたいです。日中はシェビーちゃんのお見舞いに行って、夕方はうちに帰ってくるみたい。だってニケは天井や玄関に向かって不意に吠えるんですよね。それからつけてないのにお線香がふっと香ることがあるんです。私は霊感とか全くない女なんですけど、「あ~、アテナ帰って来たんだな」って実感します。ただ,その割には寝る時に添い寝してる気配がないって思ってたら、どうもノエちゃんのところに行ってるらしい。。ノエちゃんは夜中になると突然ハイテンションになって一人で遊んでるんですって。で、ノエ家では「アテナ来てるね」って話をしてしてくれてるみたいです。みなさんのところにも行くかもしれません。その時は宜しくお願いしますね~。

砂のフィールドに戻る

アテナが最後に見たであろう光景。大好きなフィールド。
火葬の前に寄って車のハッチバックを開けた位置から撮影してみました。
こんな風に見えたんだね。(携帯でとったら縮小されてしか送れなかった。。)
アジ フィールド

あの日,私はハッチバックを開けて、その場に泣き崩れた。
M先生は「アテナ、思い切り走っておいで」って言ってくれた。
決して狙って時間設定したわけではなかったのに、たまたまアテナが入学した頃からのお友達が沢山練習に来ていて、お別れをしてもらった。私のクラフト仲間でもあるフランママまでわざわざ駆けつけてくれて。。。さらに、過去に1度練習会でしか会った事のなかったニケの前胎のおねえちゃんとも1年ぶりに再会したのもやはり何かの導きに違いない。。
アジ 
(始めて半年後くらい。まだ、バーが低い、、)


そして、今日、あれ以来初めて、ニケのレッスンに行きました。
12時からのレッスンだったので、午前中はアテナのオビ友だったモカちゃんのママに来てもらって、思い出話。。オビのグループレッスンでずっと同じクラスで問題児だったモカとアテナ。。ふたりとも走るのが大好きだったので、待て練の最中にどちらともなく誘い合ってフィールドの中を大暴走
何度先生に「やめさせてくださいっ」って怒られたことか。。
。。。そこから始まって、数々の伝説に近い思い出を刻んだフィールド。
正直、ニケと練習しながら泣くと思いました。
泣きながら脚側歩行の練習をしていたら、傍からみたらどんなスパルタ教室なんだろうって思われそうだなぁなんて思いながら久々にハンドルを握る。
でもね、フィールドが近づくにつれて張り裂けそうな胸の痛みが和らいでいくんです。

そして、砂のフィールドに立ってみる。
不思議と気分がす~っと落ち着いていくのがわかりました。
戻るべき場所。

OPDESで知り合い、尊敬してやまないハンドラー、通称「わかめとーさん」。
そのとーさんご自身が病気の手術をなさった直後、足を引きずりながらも大会に出場したのが、12月のこと。スタート地点で検分をする姿を見た時にはその雄々しさに思わず駆け寄って泣いてしまいました。ーーーただし、検分中にお互い腕を掴んで揺すり合って泣いているのはかなり妙な光景だったでしょう。数十年ぶりに再会した親子に見えたか(そんなに年が離れているわけではないけど。。)、修羅場の男女に見えたか(それほど若いわけでもないけど)、いずれにしても怪しかったに違いないーーー
奇しくもアテナの最後の大会になってしまったこの日に感じた、『ハンドラー魂』。
たぶん、今日の私はあのときのわかめとーさんと同じ気持ちになっていたと思います。
自分(と愛するパートナー)のいるべき所に戻る。

レッスン終盤には次の時間の上級クラスのみんながやって来て声をかけてくれました。
励ましの言葉や、何気ない会話に自然に笑顔になれました。
うん、また一歩進めたよ。


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プロフィール

アテナママ

Author:アテナママ
神奈川県在住の主婦。結婚して以来十数年、会社員の「のりさん」と静かな(?)インドア生活を送っていましたが、2005年5月にイエローラブラドールの女の子アテナが加わってから「すべては犬のために(All for WAN)」の生活を送っています。
現在はお星様になったアテナの他に、ニケとライラプスコンビが加わり、All for WAN度がますますアップ中!

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